底から這い上がる

【匙を投げられた患者さん】 10数年前に登壇した神奈川県の鍼灸師会したことがあるのですが、それに参加された鍼灸師さんから慢性疼痛に悩む患者さんを紹介されました。どこの医師にも匙を投げれられてきたそうです。 その方は3年前に椎間板ヘルニアが原因で休職。その後、ひどくなったり軽減したりの繰り返しており、月1回の硬膜外ブロック注射を継続中。痛みが治らず動きが不自由になり、起床後起き上がるのに15分ほど、なかなか靴下も履けず、洗顔が困難な状態でした。 全身の強張りを和らげ、腰痛を治すこと。生活習慣上の癖を知り、必要な筋力をつけることが目的でいらっしゃいました。   〈下記の動画はセッション前の歩行の様子です。ご本人が自覚していた部位とは別のところに、姿勢や日常動作の妨げになっている強張りや拘縮、トリガーポイントが点在していました〉   【やるべき事をやれば必ず変わる】 施術後は下肢の関節の可動性が回復し、歩行フォームが格段にスムーズになりました。モザイクで表情をお見せできないのが残念ですが、顔つきも格段に明るくなりました。 当然のことですが、痛みの感じ方も軽減しているようでした。次回のセッションまで少し時間が空きますが、今のところ良い状態をキープできているようで、睡眠の質も向上しているとの報告を受けています。 人体は複雑で奥深いものなので、この先どのようになっていくのかは誰にもわかりません。さらにコンディションを上げて、それを維持するためにできる限りのサポートをしていきます。 彼女と同じように、治すことを諦めかけている人にこそマロッズに足を運んで欲しいと思います。

謹賀新年

新年あけましてあめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 昨年も日々気付かされることがありました。昨今では気づいたことや閃いたことを、直ぐに言葉や施術に活かせるようになってきています。それゆえ、今年もどこまで進化できるのか楽しみにしています。すべては自分の気持ち次第。 ハードな仕事を余裕をもってやり遂げるために、これまで以上にストイックにやろうと思います。 「まさか本当に治るとは思っていなかった」 そんな感想を一つでも多く聞けるように、どんな状況になっても踏ん張ります。

ラモス会長

先日、ラモスさん(通称:会長)主催の音楽祭に顔を出してきました。 ステージの上で太鼓を叩いていたので、アイコンタクトしてサムアップで挨拶。7年ぶりに会長の顔を拝めてホッとした。 昨年、脳梗塞を患って大変な経験をしたそうだが、順調に回復しているようで、気持ち良さそうに太鼓を叩きながら歌っていました。     雰囲気を楽しみながら演奏したり歌ったり   私が読売クラブに入団したのは9歳のとき。 すでにジョージ与那城さんやラモスさんがスタープレーヤーとして活躍していました。 16歳のときにトップチームとの紅白戦で初めてラモスさんと同じピッチに立ちました。 情に厚く面倒見のよい会長。ただ、ピッチではいつ雷を落とされるかわからず、若手選手は皆んなビビっていました。 会長に実力を認めてもらうことが、あのチームでやっていくための関門と言っても過言ではありませんでした。 ある日、練習中に自分のミスで失点すると、「こんな下手くそと一緒にやってられねえよ!冗談じゃないよ、ポーハ!!」とブチ切れてゲームから外れて出ていってしまった。(ある意味、監督より権限があるので、ゲームにも自由に出入りできる)   「ああ、俺終わったな」 練習後、年上の選手たちが次々と慰めにきてくれたが、しばらくの間凹んでいました。   振り返れば、会長には節目節目でとても可愛がってもらった。 パルメイラスに移籍する直前の1996年。 私が19歳のときにリオデジャネイロで開催されたビーチサッカー世界選手権に日本代表選手として招いてもらった。     ボールを運ぶ会長と自分。当時19歳でまあ若いこと   私が20歳のときには、パルメイラスからJEFに移籍したときも親身にアドバイスをくれた。   それから20年後、味の素スタジアムで開催されたチェリティーマッチに呼んでもらい、そこで再会。 あの試合で20年ぶりにユニフォームに袖を通したことで、成仏しきっていなかったサッカーに対する後悔の念が消えました。          チャリティーマッチ。きーちゃんと藤吉くん、会長   数十年前、今の自分たちの姿など想像できなかった。 人は今がすべて。 過去にどんな功績を残していようと、今がダメなら。。。そういうこと。 過去がダメでも、今を楽めているならそれがなにより。   会長くらい多岐にわたる経験してきた人は稀だろう。半端じゃない苦労を自分にも他人にもかけてきた人。常人の4倍くらい喜怒哀楽の激しい人だが、感性が豊かで魂レベルが高い人。   あの歳になっても大勢の仲間が集まってくる。 そして、その人たちを心からもてなして楽しませる。ボールはなくても、それが出来る人。 いつまでも元気で愉快な日々を送ってほしいと思う。

椎間板ヘルニアだっとしても

【ステレオタイプの診察】    6年ほど前に椎間板ヘルニアを悪化させて、5分間立っていることもできなくなりました。 足の痛みと痺れで100m以上歩くことができず、少し歩いてはガードレールに腰掛けて休憩していました。   「腰痛を改善させることを生業としている者が、なんて情けないことだ」と自己嫌悪に陥っていました。治療を受けた後は少しだけ楽になるのですが、またすぐに立っていられなくなります。  どうにも困り果ていたとき、ある方の紹介で都内のK大学病院・整形外科の教授を紹介していただきました。  コネがなければお目にかかることができない著名なドクターなので、なにか真新しい事を学ぶことができればと、胸が高鳴りました。   ドクターはMRIの画像を見るなり、「これはひどいね。骨と椎間板の壊れかたが80歳みたいだ」と言いました。「よくこれで仕事できてますね。スクワットなんてもってのほかだし、ジョギングもしない方がいい」と。  そして、米国で開発されたばかりの椎間板を再生する内服薬などを勧められました。  姿勢や歩行の分析、動作解析など、機能面の問題を詳しくチェックしてもらえるのかと思いきや、読影の他はなにもしてもらえませんでした。  ここぞとばかりに沢山質問したのですが、「とにかく腰部に負担をかけないように暮らすことが大切」という、当たり前の答えしか返ってきません。  期待値が高かっただけに、ステレオタイプの診察にがっかりしたことを覚えています。 健全な脊椎と椎間板 私の脊椎と椎間板の画像。(6年前)現在はさらに状態が悪化しているはず ​【画像所見を真に受けすぎない】  診察のとき、レントゲンやMRIの写真を見せられてショックを受けたり、自信を失ったりする人が大勢います。  変形した椎間板や関節の画像をみせられて、「これが原因です」と言われたら誰だってゲンナリするでしょう。こりゃ痛くて当然だと。  けれども、明らかに器質構造的な問題が認められているのに、痛みや機能障害が一切でない人もいます。  一方、画像所見では問題がないのに、強い痛みや痺れによって日常生活に支障が出る人もいるのです。  つまり、画像の所見だけでは本質的な原因はわからないということです。残念なのは、医師と患者の双方が写真に写し出さているものが、主訴の原因だと思い込んでしまうことです。   実際、画像の所見と責任病巣が完全に重なるケースは稀です。あくまでも個人的な意見ですが、画像所見を間に受け過ぎないことが大事だと私は考えています。   【6年後のいま】  あれから6年経過しました。試行錯誤を重ねて腰痛と上手に付き合っていくコツを掴んだ気がしています。  週に4日7Km走り、つまらないと文句を垂れながらウェイトトレーニングに励んでいます。  慶應のドクターから言われたもってのほかな運動も再開しています。当時の自分では、絶対にできなかったであろう種目も淡々とこなせています。  あの時に言われた通り、腰に負担をかけない安全な暮らしをしていたら、今頃どうなっていたのでしょう。  腰部に負荷がかかる種目も問題なく  退屈な筋トレもベースアップに役立つ   完全に腰痛がなくなったかと言えば、そうではありません。今も疲れが溜まると左臀部から足先にかけて、違和感が生じることがあります。  しかしながら、どこをどのようにケアすれば改善できるのか、今はもう分かっています。だから、少々の違和感があっても焦らなくなりました。   私と似たような症状を抱えている人は、全国に山ほどいるはず。  そういう方のために、自力で腰痛をマネジメントする方法を、これから少しずつご紹介していきます。   【最後に】  画像検査の写真を見せられ、腰椎滑り症、分離症、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症などと診断されて気持ちが折れてしまった方へ。 ヘルニアで神経根が圧迫されている(6年前) 椎間板が押し出されている様子(6年前)  写真を見れば分かると思いますが、私の脊椎や関節、椎間板は醜いほどボロボロです。だからと言って、ずっと痛みや痺れが続くわけではない。 最長でも3ヶ月あれば症状は軽減していきます。  理にかなったことをコツコツ続けていれば、身体は必ず再生します。  医師から言われたネガティブな話は聞き流して、ディテールに拘りながら着実に腰痛を改善させていきましょう。